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始まり、終わりはありますか 

  • 2008/07/13(日) 07:26:30


 前号からのつづき

 私たちは何処から生まれ、そして、どこへ行こうとするのか?生まれる前は何者であり、そして、死んだら何(なん)となるのか?そうした疑問を抱いております。そして、思考は次の2つに大別されます。

 (A)すべての事象は、過去から未来へ直線的に流れているのか(直線的な事象の流れ)
 (B)すべての事象は、円を描(か)くよう循環的に流れているのか(循環的な事象の流れ)
 以下、それらについて、その概要を解説しましょう。

 (A)直線的な事象の流れ

 これは基本的には次のような考え方です。

 (a) 生命には始まりがあり、終わりがあります
 生きとし生けるすべてのものは、始まりがあり、終わりがあります。あるいは、それは、スタートがあり、ゴールがあります。

 私たちは親から生まれ(始まり)、そして、やがて死んでゆく(終わり)。物質としてこの世に生まれ、肉体としてこの世に生きる。身体が主体で、心は属性。身体が無ければ心も無くなる。あくまで命は肉体なのです。そして命は有限なのです。
 つまり、こうした見方で捉える人は唯物論的考え方です。

 そして、例えそうであっても私たちはスッキリしません。どこか釈然としない気分となります。無意味のままでは受け入れられない。無価値のままでは納得できない。生きるためには希望が要ります。消滅するなら、やる気が失せます。夢や未来が必要なのです。

 “死んだら終わり”、この考えは生気を奪い、心の底では納得し難い。深層的には拒絶をされます。命は無意味、無目的、生きる自体に価値は無いなど本能自体が認めていません。生命自体が望んでいません。だから、どこかで求めております。神や涅槃を探しております。

 私たちは虚無の中では耐えられません(参考:虚無とは知性の挫折のことです)。絶望しては生きられません。常に意味を創り出し、価値を持ちたい生き物なのです。“何のために”が必要なのです。生きる理由を常に持ち、生きがい自体が必要なのです。

 (b) 生命には始まりがあっても、終わりなんてありません
 私たちは終わりたくはありません。消滅したくはありません。死んだ後も霊となり、そこで、命は生き延びられる。新たな世界が待っている。そうした思想が生まれて来ます。神や天国、涅槃や楽園、そこには尽きない世界が有ります。あくまで命は永遠なのです。しかし、それでも、疑問が湧きます。始まりがあり、終わりだけが無いものなんて、果たして存在するのだろうかと。

 終わりが無ければ、始まりもない。ゴールが無ければ、スタートも無い。始まりの無い物事なんて、私たちには考えられない。しかし、それでも、命に終わりが無いとするなら、私たちは初めに在った。端(はな)から何処かに存在していた。原因もなく在るから、在った。そして、理性は苦悶する。果たしてそれは本当なのか?端から在った自分は何か?結局、疑問は解消し得ない。どうも納得、合点がいかない。

 そして、神が創られる。“始まりだけは存在し、終りだけが存在しない”、神の思想が起こされる。神は、我らを創造(始まり)し、決して命は消滅(終わりがない)し得ない。神の創った命は永遠。なぜなら神は絶対だから。神に出来ないことは無く、完全無欠の存在だから。こうして神が希望に祀られ、死後の世界が組み入れられます。

 しかし、それでも、あなたの理性が強靭ならば、なおも疑問は尽きない筈です。例え、命に終わりが無くとも、虚無の呪縛は免れ得ないと。“永遠”そこには価値など無いと。
生きがい、それは相対的な世界にあります。有限的な世界にあります。花は開花が短いからこそ、その美に対し陶酔します。物はいずれ壊れるからこそ、私たちは大事にします。

 命もそうです。やがて死により尽きるからこそ、今この瞬間(とき)が貴重になります。儚いからこそ、感動します。永遠ならば、価値や理由は存立しません。目的自体も成立しません。有限だから必要となり、必要だから価値があり、そこに意味や理由が生まれ、生きがい自体が創造されます。

 ですから、“永遠”そこにも虚無は生まれて来ます。生きることの意味とは何か?“永遠”そこにも疑問はあります。短期的には満足し得ても、やがて理性は囁き出します。何のために私はいるのか?私が生きて何になるのか?相も変わらず考え続け、そして、疑問と格闘します。

 しかし、それでも理性は、そこでは通用しません。人知を持っては解決しません。“永遠”それは無限の世界、絶対性の領域なのです。私たちの知性や能力、それらは果たしてちっぽけ過ぎます。無限の前には僅少過ぎます。

 もしも、未来(永遠)に命があるなら、在り方自体も変わっております。次元自体も変わっております。ですから、それは、今の次元で推測すること、そのこと自体が無意味と言えます。推測自体が無駄とも言えます。
 しかし、それでも考え続ける。それが人知の習性なのです。

 次号へ続く

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