私たちは、悩んでいるとき、みじめになるとき、ただもうその苦しみの中に沈殿します。その苦しみをどうすることも出来ません。自分が苦しみそのものなのだと、抜け出すことが出来なくなります。
どんな人でも苦しみの無い人などおりません。少なくとも、その体験の無い人など、この地球上に存在しません。病気が決して尽きないように、苦悩や苦痛も無くなることは無いのです。それは来るときには、来るということなのです。私たちに出来ることは予防か治療に過ぎないものです。
しかし、喜びや苦しみ、快や不快は、実のところ同じものの現れ方の違いなだけです。一つのものの二つの顔です。別々のものではありません。同じ一つのものの二つの位相に過ぎないものです。
あなたが現在、不幸であるなら、それはすでに幸せに向かって動き出し、あなたが現在、幸福ならば、必ず衰退へと動き出す。夜は朝へと、朝は夜へと、対の狭間を反復します。
ですから、あなたが悩んでいるなら、それはいつしか喜びになり、そして、あなたが幸福ならば、それはいつしか不幸に変わる。不変の事象はありません。変化のリズムが見えないだけです。周期の幅の違いなだけです。だから、一番、重要なのは、あなたが自ら死なないことです。
それでは、ここで一つの寓話を紹介しましょう。
ある国の王さまが自分の感情を征服できる魔法の指輪を探していました。その指輪には”苦しいときには、幸福な気持ちに変容できる”、そんな力が秘められており、その力の源は、指輪に刻まれた秘密の言葉にありました。
王さまは、宮廷内の賢人たちを呼び集め、
“その指輪が是非とも欲しい。その指輪にはどんな言葉が刻まれている?その秘密の言葉を教えて欲しい。すぐにも指輪を見つけ出せ!”
賢人たちに指輪の探索を命令しました。
しかし、賢人たちは、誰一人として、その指輪のことを知りません。いったいその指輪は存在するのか?どんな言葉が彫られているのか?賢人たちは話し合い、やがてある一人の聖人へと辿り着きます。
その聖人は、自分の指から指輪を抜き取り
“これを王に渡すがよい。ただし、一つだけ条件がある。この指輪のふたを開けると魔法の言辞が刻まれている。しかし、この言辞は王の意識が切迫し、追い詰められたときほど効果を現す。つまり、すべての希望が失われたとき、これ以上ない悶絶と混乱、何一つできることの無い絶望状態、そんなときこそ効果を発する。だから、そうなったとき、初めてふたを開いて見るのだ。”
王は聖者の言葉を信頼し、その条件を堅く守った。そして、あるとき・・・戦いに敗れ、国を奪われ、それでも敵が追ってくる。援軍は断たれ、家臣も失い、馬にも死なれ、それでも必死に走り続けた。
血みどろの足と、そして空腹、疲労と恐怖がのしかかる。しかし、それでも振り絞る。力の限り走り続けた。敵はそこまで迫って来ている。
何てことだ!道は途絶え、退路は断たれ、前方にはもう何もない。絶壁と奈落に阻まれていた。しかも、崖から飛び降りようにも、奈落の底はあまりに深い。万に一つも助かる見込みはありなどしない。それでも、敵は近づいて来る。残された時間はあまりにわずか。敵の姿が今にも見える。
最後の瞬間、王は指輪を抜き取った。ふたを開くと言辞があった。その秘密の言辞は如何なるものか?そこには次のように刻まれていた。
「これもまた過ぎ去る」
不意に緊張の糸はゆるみ出し、王は、その真意の中にくつろいだ。これもまた過ぎ去る!そして事象は移ろい変わる。これもまた泡沫(うたかた)なのだ。
そして、このとき奇跡は起こった。敵は方向を変えて動き出し、その足音は遠ざかる。敵はあきらめ引き返したのだ。そして、十日と経たないうちに王は再び軍を立ち上げ、敵を倒して復帰する。国や城を取り戻し、むしろ前より栄華を誇る。
王は歓喜に興奮していた。胸は高鳴り、陶酔しきり、幸福すぎて死ぬほどだった。しかし、突然、思い出す。王は再びふたを開いた。指輪のそこに彫られている文字、それはすなわち、
「これもまた過ぎ去る」・・・・だった。
確かにそうです。苦しみは何処からとも無くやって来ますが、それはあなたそのものなのではありません。誤解を恐れずコメントすれば、努力をせずとも、頑張らなくとも、生きさえすれば、苦悩は去ります。しかし、それでも、やがて苦悩は再来します。寄せては返し、返しては寄せる・・・それをいつでも繰り返す。ですから、苦悩は、ただやり過ごせば良いのです。
存在すること、生きていること、自ら命を絶たないこと、関わり合いの相互の中で、ただ在るだけでも良いのです。生命にとって、生きること以上に大事なことなどありません。生命は生きる自体が天性なのです。もしもあなたが受け入れないなら、それはあなたの信条なのです。
テーマ : うつ病(鬱病)、メンタルヘルス - ジャンル : 心と身体