私たちは、誰もが一度は聞いたことがあるはずです。因果応報、カルマの法則、転生輪廻や生まれ変わりの神秘の話しを。
“今あるあなたは、自分の行為の報いの現れ!それはすなわち、善を為せば幸となり、悪を為せば災いとなる。行為の結果が運命(さだめ)を創り、それが延々繰り返される。自分の蒔(ま)いた行為の報いが、現世、来世を創造すると。”
確かに行為( = 因 )は作用を及ぼし、何かの事態( = 果 )を誘発します。そして、事態( = 果 )が因となり、新たな行為( = 因 )を連続させます。つまり、この世は、原因・結果が連鎖となって、複合的に事象を生みます。
運命、それは自分が創り、自分の行為が自分を運ぶ。もしも運命(さだめ)が偶然ならば、あるいは、他人が決定するなら、生きる自体の希望は失せます。例えそれが神であろうと究極的には結果は同じ。神とあなたは別個の意志です。あなたの意志は神や仏を崇拝し、同時に憎悪も可能なのです。ですから生とは自分の意識が上位にあります。
自分の人生、それはあくまで自分が主体!行為の因果は自分にあります。つまり、生とは、自分自身を体験すること。他人の生など体験し得ない。他人の行為の責めなど負えない。誰かが自分の運命(さだめ)を決める。それは断じてあり得ない。体感するのは唯一の自分。生とは自己の体験なのです。
今ある自分が誰かのせいなら、努力の放棄、意欲の喪失、正義の失墜、他人の排除・・・ありとあらゆる歪みが生じる。今ある悲惨はあいつのせいだ!運命、それは気まぐれなのだ!責任転嫁が大手を振るい、自暴自棄や世渡り上手、厭世主義者が横行します。
実際、この世は原因・結果の連鎖であるため、生まれながらの環境・出来事、それは結局、前世以前に求められます。私たちは因果の世界で生きているため、そうした見方が習慣なのです。ですから、それは、後天的な事象でさえも因果を辿れば説明できず、究極的には前世の報い、前世の縁だと推測します
しかし、それでも因果応報、輪廻の思想・・・、そこにはある種、危険な因子が内包されます。
例えば、それは・・・、生まれて直ぐに死に行く赤子、小児麻痺やダウン症、お金で売られる子供たち、自分の意志で行為を為し得ず、過酷な定めを背負いし者たち・・・、そうした弱者の悲惨な運命、その宿命の起因を説くとき、果たしてあなたは言えるでしょうか?自分の蒔いた行為の結果が、この世の悲惨に現れたのだと。前世、犯した行為の報いが、責め苦となって現れたのだと。
確かにそうです。誰も真偽のほどなど分かりはしません。“悪事の結果が不幸を創る”、それは、果たして本当でしょうか?無力な孤児の悲惨を見つめ、自業自得と言えるでしょうか?戦火の中で命をつぐみ、飢えと病に苦しむ者たち、彼らに向かって、果たして輪廻を説けるでしょうか?
輪廻はあくまで思想に過ぎず、あくまでそれは考え方です。真偽は永久(とわ)に実証し得ず、信条レベルに過ぎないものです。まして行為の一番始まり、初めて何かが存在したとき、そこに因果は持ち出せません。因果自体も存在なのです。一番最初の在りて、在るもの、それが最も重要なのに、果たしてそれは因果の外です。
最初のものは、どうして在るのか?最初の縁はどこから生まれ、それがどうして因となる?結局、因果は不明のままです。
まして、輪廻が実在しようと、我らは前世の記憶を持たない。前世の罪を問われようにも、知らないものは反省し得ない。むしろ、それは言いがかり。理不尽にしか思えない。だから、定めに不満を抱く。不運自体を受け入れられない。それは至極、当然なのです。
ですから、それは天罰なのではないということ。行為の報いじゃないということ。肝心なのは、自分の生は自分が決めた。現世のあなたが悲惨だとして、それは罰ではありません。それは報いじゃありません。あなた自身が成長するため、自分でそれを選択し、自分の定めを計画したと。それが賢い考え方です。
生まれながらの盲人たちは、誰かの視覚を奪った報い?あるいは盲人(だれか)を虐げた?いいえ、むしろ、盲人たちは、人の心がよく観える。見た目や美醜に振り回されず、心の動きがよく分る。だから、彼らは選択したと。自分で盲を選択し、心の様相、それを深く体験するため、過酷な現世を選択したと。
ですから、それは“今ある自分は自分が決めた”、それこそ最も正鵠なのです。社会の秩序に必要なのです。それはすなわち、自分の行為が未来を開ける。だから、あなたは頑張れる。生きがい、希望が保たれる。それが心に生気を生みます。
自分の生の作家は自分!定めを自分で画き出し、そして、この世に生まれて来ます。つまり、自分自身が体験したい運命自体を選んで来ます。罰のせいではありません。報いのせいでもありません。成功するとか、失敗するとか、それは生には瑣末なことです。生はもっとでっかいものです。良いも悪いもありません。生それ自体を体験すること、それが生命(いのち)の実相なのです。
時間は過去から未来へ流れ、起因が在って結果が生じる。しかし、事象は見かけに過ぎず、体験するのは現在だけです。自分が決めた自分の人生、それをいま今、体験すること、輪廻の車輪がどうであろうと、体験だけが在り続けます。
そして、最後に、考え方が自由であるなら、今ある苦悩、それも自由に書き換えられます。あなたの人生、それに意味を与えし者は、あなたの他におりません。あなたがあなたを体験します。あなたがあなたの世界なのです。
テーマ : 壊れそうな心 - ジャンル : 心と身体