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90:虚無とは知性の挫折のことです

2008/03/24 (Mon) 18:26
 
 私たちは生きる意味(参照:なぜ?は無限に繰り返される)を自分に問いかけ、1度は誰でも悩むものです。生きることに意味などあるのか?死んだら人は消滅するのか?あるいは、別の世界が在るのか?書物をひも解き、誰かと議論し、宗教・神学・哲学・科学・・・、色んなところへ答えを探す。

 しかし、それでも正解なんて存在しません。絶対、完璧、完全無欠、無二の答えは見つかりません。私たちに知り得る事実は、死んだら身体(からだ)が無くなることです。この世に自分が住めないことです。

 死後の世界は在るのか、無いのか。死により自分は消滅するのか。死なないことには体験できず、しかし、死んだら戻って来れない。だから誰にも解からない。死により自分はすべてが終わる?あるいは、命は存続し得る?それは人知を超えており、推測するしかありません。死後の世界が実際、在っても、立証できる術など皆無。死後の世界は不可思議なのです。

 しかし、それでも求めて止まない。私たちは答えを探す。納得可能な理由を探す。生の意味や価値を問う。どうして答えが必要ですか?理由や意味が必要ですか?目的、目標、価値や意義、それらが無ければ生きられませんか?

 実は私たちの行為においては、大きく二つの種類があります。あなたの好きな色や音楽、そこには理由は存在しません。好きな食べ物、愛する彼女(彼)、そこに理由は見出せません。究極的には先天的です。好きだからこそ、好きなだけです。それは一つの本能なのです。

 そして、一つは知性に基づく行為があります。そこにはすべて理由があります。意味や目的、価値を見出し、それらに向かって行動します。生きる意味を問いかけるのも知性に基づく行為のためです。

 かくして、知性は理由を探す。もしも命が無意味と化すなら、生にとってのすべての出来事、あらゆる事象は砂上の楼閣!夢や希望は崩壊します。もしも命が無目的なら生きがい自体も崩壊します。愛やときめき、努力や向上、すべては終(つい)に幻想と化し、刹那主義者が秩序を壊し、厭世主義者が蔓延します。

 かくして、虚無が口を開け、無気力、倦怠、やるせなさ、生から活気が吸い取られ、空虚さだけが取り残される。そうです。虚無とは、“何のために”が欠けている。動機ややる気が無いことなのです。

 私たちが生きるということ、それはすなわち、よろこび、ときめき、悲しみ、怖れ、いろんな気持ちを体感します。思考を重ね、行為を介し、色んな事物を体験します。知性に基づく感動は、その出来事に理由や目的、意味や価値など“何のために”を見出すからです。

 知性に基づく行為にとっては、意味があるから感動できる。理由があるから心が動く。目標・目的、愛や夢、それらに向かって行動できる。“何のために”が動機となって、行動自体に駆り立てられる。究極的には人生の意味、人間自体の存在理由、そうした土台が必要なのです。

 神の国でもかまわない。輪廻であろうとかまわない。理由がなければ足場を失い、虚無の底へと突き落とされる。つまり、虚無とは知性の無力化、知性が諦め、挫折をすること、そこから虚無が生まれて来ます。

 知性に基づく動機や行為は、必ずそこに理由があります。“何のために”が必ずあります。必要性を認識し、目的を立て行動します。それはすなわち、未来を予測し、行動するということなのです。それが人知の特性なのです。

 解りやすく解説しましょう。太古の昔、自然界の人間たちは、弱者的な存在でした。腕力的に優位と言えず、運動的にも劣位に位置し、生存するのもやっとのことです。弱肉強食、自然淘汰、領土の侵略、部族間の諍いなどなど、生き抜くためには、集団を組み、言葉を使い、危険を予知し、道具を作り、知力によって生き延びました。

 こうして得られた高い知性は、行為のために意味化を行い、言語によって分析、計画、目標を立て、案内人の役目を果たす。分析、予測、計画、実践、そして、評価や反省、対策・・・、すべてに意味や理由があります。“何のために”が内包されます。

 かくして知性の性質こそが、人生自体の理由を探し、意味化をしようと必死になります。無意味のために頑張ることなど、知性にとっては論外なのです。絶望しながら生存するなど生にとっての反逆なのです。

 ですから、知性は未来を描き、より良く生きんと探究します。希望を求めて奮闘します。そして、めでたく信頼できうる答えを得たなら、それはそれで安定します。
しかし、一方、納得できうる理由が得られず、知性が途方に暮れるとするなら、それが虚無の温床なのです。
 
 かくして、虚無とは知性の敗北、知性が無力を感じることです。知能の高い人知と言えども、所詮、高は知れている。無とか永遠、絶対、完璧、体験できない事象に対して答えることなど不可能なのです。
 相対的な土壌において初めて知性は活かされる。果たして、知性が奮闘し尽くし、それでも理由が見つからないとき、そこから虚無が生まれて来ます。

 それでは、いったい、虚無に見舞われ、生きる意欲を喪失したとき、生きることに絶望したとき、自殺をしても良いのでしょうか。存在自体に目的が無く、生きていても仕方がないとき、命を絶っても良いのでしょうか。
 
 続きは次号(自殺をしては、いけない理由)を参照ください。

テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル : 心と身体


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