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92:それでも神を信じていますか

2008/05/11 (Sun) 11:40
 
 私はこれまで、神について、ほとんど触れては来ませんでした。それは私が無神論者であるからではなく、神に触れることで、このブログが宗教じみた信仰の対象となることを避けたかったからであります。
 とかく宗教は妄想を生み出し、感情的になりがちです。神の名のもと、すべてが許され、何でも良かれと考えがちです。
 しかも、聖書や経典、そこに書かれた神や戒律、それらはあまりに人間的です。そして、それらは偏り過ぎです。果たして、あなたは神の怒りや断罪、排他、そうした個性を受け入れますか?あなたの神は公正ですか?

 巷(ちまた)に溢れる宗派の主張は、他派への理解を閉ざしております。異教の許容に頑固であります。そして誰もが自身の宗派が一番なのです。ですから私は、組織(教団)としての教義や思想は独善的だと感じております。運営自体に重きが置かれ、信者(利益)の確保が優先的です。
 果たして神は、帰依やお布施を強要しますか?懺悔や祈りを求めていますか?そもそも神は己を誇示し、異教を悪だと弾圧しますか?私はそうは思いません。それが神の姿でしょうか?神には自我などあるのでしょうか?

 世界における宗教の数は幾千あるとも言われております。宗派や教団、信者の数は、いったい幾つに昇るでしょうか?いずれにしても、それらの組織や教祖や聖典、そこには独自の教義があります。神に対する思想があります。教団独自のルールがあります。
 そして彼らは自分の神こそ最善なのだと、その信条は狂信的です。彼らにとっては唯一無二の絶対神です。自分の神しか信じていません。自分の神しか見えてはいません。異教の輩(やから)は間違っている、あるいは、異教は地獄に落ちる、こうして信者を増やして行きます。

 果たして神は、こんなに多くの教えを創り、それぞれ異論を説くのでしょうか?あるいは、神は幾千もおり、それぞれ教えを説くのでしょうか?つまり、彼らが崇める神や聖典、それらは真(まこと)に在るのでしょうか?本当の神の言葉でしょうか?

 実際、神話は数々あれど、その内容は驚天動地!これが神かとビックリします。世界の聖典、あるいは、戒律、それらの中身は矛盾が多く、理不尽、残酷、無理難題と色んな不当に溢れております。それらの一部を紹介しますと、

神は私たち人間に対し、
 ・ 納得できる理由の無いまま、期待し、怒り、嫉妬し、処罰し、そして、いつでも命令します。

 ・ 神(私)を愛せよ、異教は悪だ。奴らを殺せと命令します。または、神自身が率先し、異教の輩(やから)を殲滅させます。神の名のもと、殺すことは罪とはならず、むしろ、名誉なことだと称賛されます。神の大義が殺戮を生み、聖戦なのだと多く(何百万人〜)の命が亡くなりました。

 ・ 神は信じる者しか認めない。自分のことを崇める者しか神の御国(楽園)に入れない、あるいは、神は不信のものを地獄に落ちると断罪します。

 ・ 神は父であり、彼であり、男であると教えています。神の国には男性のみしか入れない、または、女性はいまだ卑しい存在。男尊女卑が大手をふるい、女性は罪がより深く、男に生まれ変わって、そこで初めて入信できる、そうした不当な教えもあります。

 ・ 神は自分の姿を色んなものに変身させます。ある宗教は、牛や馬、魚などが神の化身と教えています。牛が道路を塞いでいても、あるいは、お店を荒らしていても、決して、叩き、鞭をすえてはなりません。あくまで神の化身なのです。

 ・ 神は生贄を差出せと要求します。それも牛や馬ばかりではありません。人間さえも生贄として殺されたのです。

 ・ 神は、するべきこととすべきでないこと、身なりや食べ物、作法や儀式、セックス、権力、富みや言葉、あるいは、思念に至るまで、事細かにルールを決めます。そして、それは強制なのです。
 
 つまり、神は自尊心が非常に高く、自分以外は崇めてならない独善的な性格なのです。しかも、信者たちの大半は、神を自分で選んだ訳ではありません。例えばあなたはキリスト教徒で、また、ある人はヒンズー教徒、あちらの人はイスラム教徒で、そして、こちらはユダヤ教徒であったとしましょう。みんなの違いは何でしょう?それは生まれた家庭が違っただけです。

 あなたの家庭がキリスト教徒の家系であるから、あなたも端(はな)から信者なだけです。子供のころからイエスを聞かされ、聖書を学び、賛美歌を歌い、礼拝しながら育って来ました。ひっきりなしに両親、牧師、神父や教会、周りの信者に洗脳されて、イエスの教えが染み込みました。
 
 かくして、これは信じているとか、信じてないとか、選択なのではありません。運命として信じ込まされ、しかも、それらは自分の神が最善なのだとプログラミングをされております。これはあなた自身の自由意志ではありません。

 そして、あなたの洗脳度合いが強固で深く頑(かたく)ななほど、あなたにとっては、その信条があなたの生きる礎(いしずえ)なのです。その信条は、あなたの周りを教えのとおりに映しております。あなたの信条、つまりは関心、それがあなたの見え方なのです。ですから、あなたは一生、イエスを信じ込み、キリスト教徒で在り続けます。

 かくして、神は、家庭や民族、あるいは、地域、生まれたところで運命づけられ、そして互いに神の名のもと、諍(いさか)い、弾圧、戦闘、聖戦、殺し合いを反復します。これが神なら私は神を崇拝しません。これが神なら私は神を愛せはしません。

 どうして神を愛せましょうか。まして彼ら(教祖や信者)は本当に神が自分に似せて、目鼻を創り、手足を創り、この人類を完成させたと言うのでしょうか。神は呼吸し、食事を行い、何かを触り、そして、歩く、有限的な存在ですか?
 ましてや神が愛であるなら、私たちを愛しているなら、どうしてこの世は残酷ですか?
どうして苦痛に喘いでいますか?

私たちの生きてる世界は、
・生きるために魚や牛や野菜を食べます。他の生命を殺して食べます。

・富める者と餓える者、支配する側とされる側、楽しむ側と苦しむ側など、不当や差別が蔓延し、そして格差も極端なのです。しかし、起因は努力の差ではありません。構造的かつ運命的な問題なのです。

・そして特に、いまだ幼い子供たちは、人身売買、虐待、労働、悲惨な定めの犠牲にさらされ、さらに現在、紛争地帯の幼い命は2分に一人がこの世を去ります。何千、何億、そうした多くの悲惨があります。無垢の命の悲痛があります。

・私たち社会で生きる人間は、依存しないと生きてはいけず、一方、競争しないと獲得できない矛盾の中で暮しております。そして、何より、苦しまないと成長できない、それが我らの宿命なのです。

・私たちは気づいた時にはこの世に生まれ、生の意味さえ解明されず、生き抜くために死ぬまで働き、そして、やがては老いや病にこの身が侵され、あるいは、事故や事件に襲われ、いずれ儚くこの世を去ります。どんなに栄華の最中(さなか)にあろうと、いかなる力を手に入れようと死への旅路は免れません。私たちの一生は所詮、悪夢と同質なのです。

 しかし、それでも、あなたの神は言うでしょう。世俗の神は言うでしょう。あらゆる悲惨は、人が神に背いたせいだと。人間たちの罪業なのだと。そして、神は戒律だけを人に押し付け、決して悲惨を無くしはしません。確かな奇跡は起こっていません。神はいったい何時になったら姿を現し、私たちを救済しますか?それとも永劫、死後の世界へ逃げ込みますか?

 かくして、あなたは、それでも神を信じていますか?そして、神を愛していますか?私は神を信じていません。かくなる神を崇拝しません。なぜなら、神とは人間たちが創ったからです。人間たちの産物なのです。

 あなたは本当に人間的な神の性格、突拍子もない神話や聖典、差別に満ちた戒律、儀式・・・、それらを真(まこと)と受け入れますか?
 もちろん神とは人間ごときで測れるものではありません。人知や科学で解明されず、最後は、結局、信仰心です。神に対するあなたの思慕です。しかし、それでも、宗教性を帯びた神は私たちが創った神です。圧倒的に世界の神は人間たちのねつ造なのです。

 次回以降、仮称ではありますが、「神々の起源」「あるべき神の姿とは」「人間と神の実存関係」、それらについて触れてみたいと思います。

テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル : 心と身体


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