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神のあるべき姿とは ? (神は何も求めていません)
- 2008/06/08(日) 13:01:20
前号「絶対神と相対性」のつづき
ここで一つ譬え話を紹介しましょう。
“南極(氷の大陸)に棲むペンギンと南国(熱帯の密林)に棲むオウムがいました。あるとき二人(二羽)は、ひょんなことから道に迷い、無人島で出くわしました。
自分はどこに棲んでおり、いったいここはどこなのか、互いの話をしていくうちに、やがて会話は口論となり、とうとう喧嘩が始まりました。
南極に棲むペンギンは、ここは暑い、氷が欲しい、帰りたいと嘆(なげ)いています。しかし、それでも、南国に棲むオウムにとっては、寒くて、寒くて、たまりません。そして、このとき、お腹が空いたペンギンは、魚が食べたい、サンマが食べたい、木の実は不味(まず)いとふくれております。しかし、一方、オウムにとっては、木の実が食べたい、リンゴが食べたい、魚は不味くて泣きたくなります。そこでとうとう動物たちは、それぞれ神に訴えました。”
さて、かくして、ここで問題ですが、暑い⇔寒いや美味しい⇔不味い、それは飽(あ)くまで感覚なのです。相対的な感想なのです。どちらが正しく、どちらが誤り、そうしたことではありません。こうあるべきだ、もありません。
むしろ、個人にとっては、感じることこそ現実的な実存なのです。南極育ちのペンギンにとり、島の気温は本当に暑く、そして、魚は好物なのです。確かに美味しい食べ物なのです。そして、一方、オウムにとっても無人島は本当に寒く、そして魚も確かに不味く、木の実の方が好物なのです。
かくして、審判!もしも、神が複数いるなら、南極にいる神々たちは、ペンギンの言う主張が正しく、オウムの主張は却下されます。そして、一方、南国にいる神々たちもオウムの主張が道理に叶(かな)い、他方(ペンギン)の主張は退けられます。
ペンギンから見てオウムの神は、最低、最悪、悪魔と映り、一方、オウムも相手の神を同じように感じております。他方の神は受け入れがたく、自分に仇(あだ)なす敵となる。こうして神が礎(いしずえ)となり、殺し合いに発展します。何しろ、信者は自分の神しか認めておらず、単に見方が違うだけだと、夢にも嘘にも思っていません。
そして、次に、もしも神が絶対神なら、唯一無二の究極神なら、相対的な次元に対し、答えることなど出来ません。暑いか寒いか、美味いか不味いか、二者択一など出来ません。相対性に不偏の答えは無いからなのです。
もしも、神が、“島は暑く、魚はおいしい”一方的に判決すれば、オウムはそこで不幸となります。オウムの個性、あるいは、生命、存在自体が否定をされます。オウムにとっては何の罪も犯していません。悪い点など存在しません。ありのままの感覚なのです。性質自体の問題なのです。
かくして、神は、全知全能、完全無欠、公明正大、すべてのものを幸福にする、その観念は存立しません。相対性では成立しません。絶対神は不可能なのです。相対性では、一方にとり嬉しいことが、他方にとっては悲しみとなる、そうしたケースはよくあることです。あなたの幸が誰かの不幸、そうしたことも有り得ることです。
平等なんてありません。完璧なんてありません。誰にとっても納得し得る普遍の価値などありません。やはり、ペンギンにとっては南極であり、オウムにとっては南国なのです。それが果たして相対性です。
ですから、神が絶対神なら、具体的に個性を持った人格神ではありません。具体的に関与してくる行為者なのでもありません。何か、相対的な次元を支える根源的なエネルギー、有を生み出す無のようなもの、ただ純粋に個性を生み出す無個性のもの、そんな何かを空想します。
以上、神のあるべき姿とは、“有限を生み出す無限の存在”、そんな仮説を私は立てます。
すなわち、それは、
・ 神は決して、姿を持たず、個性を持たず、人格を持たず、具体的には実存しない、非認識的なも のであり、無の性質に酷似している。あるいは、神とは有を生み出す無(参照:究極の問い)の存在。
・ だから、神は、自己を持たない。
・ だから、神は、怒りを持たない。歓喜を持たない。喜怒哀楽が一切ない。つまり、神には感情(参照:感情の役割を知っていますか)がない。
・ だから、神は、意思を持たない。
・ だから、神は、愛を持たない。(参照:愛の起源)
・ だから、神は、依存をしない。
・ だから、神は、欲するものが何もない。欠けているものが何もない。
・ だから、神は、求めない。
・ だから、神は、目的、願い、期待、価値観、意味、希望、絶望などを一切持たない。
・ だから、神は、干渉しない。口出ししない。
・ だから、神は、命令しない。強制しない。課題や戒律、祈りや儀式を設けない。
・ だから、神は、判断しない。正義を持たない。善悪さえも存在しない。
・ だから、神は、罰しはしない。懲罰もなく褒賞もない。
ですから、もしも、自分の欠点、不甲斐無さや不正でさえも、神が裁くと悩んでいるなら、そんなことはありません。
今あるあなたは、あなたが決めた。選択したのはあなたです。あなたを裁く、それは飽くまで関係性です。相対的な領域なのです。
次号へつづく
テーマ:
- 心、意識、魂、生命、人間の可能性 -
ジャンル:
- 心と身体
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