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神は超然として存在します !

  • 2008/06/15(日) 09:45:09


 前号「神のあるべき姿とは(神は何も求めていません)」のつづき

 つまり、今あるあなたは、あなたが決めた。選択したのはあなたです。評価をするのはあなたです。相対的な次元において認識するのはあなたです。神のせいではありません。誰のせいでもありません。あなたの世界はあなたが創る。相対性とはあなたの投影、あなたが生きる舞台のことです。あなたが選んだ演劇なのです。あなたの魂、それがこの世の運命(さだめ)を選び、そして、あなたは生まれて来ます。

 ですが、あなたは言うでしょう。もしも、この世が絶滅しかかり、私たちが喘(あえ)いでいても、神は我らを助けはしないと?神は我らに見向きもしないと?

 おっしゃるとおり。神は我らを救済しません。絶滅しようと助けに来ません。そして、それを非情と見るのも、飽(あ)くまでこちらの受け止め方(相対性)です。何となれば、そもそも神には絶滅なんて存在しません。尽きるものなど存在しません。無限にとってすべての事象に特別なんてありません。相対的な次元において、単に姿(在り方)が変わっただけです。

 確かに地上のレベルで見れば、壊れ、滅び、途絶えるものは、至る所にたくさんあります。絶滅する種は毎日、あります。しかし、それでも、新たな種類が生まれて来ます。新たなものが創造されます。人間だけが特別なのではありません。人間だけが例外なのではありません。それらはすべて相対的な観念なのです。

 神という名の無限の前では、単にすべては在るだけなのです。あるがままに在るだけなのです。そこに差別はありません。そこに評価はありません。それはそのようにして単に在る、存在自体が在るだけなのです。

 はっきり言います。神に愛などありません。正義も悪もありません。私たちが幸せだろうと、誰かが辛く不幸であろうと、痛くも痒(かゆ)くもありません。神は何も望んでいません。永遠という無限の前では、いかなる進化もありません。単にそれは在るだけなのです。

 しかし、これが現実ならば、私たちは失望します。神とは、もっと温かく、愛そのものとの期待があります。信頼できる心があります。神とはもっと慈悲深く、私たちの不幸を悲しみ、私たちの幸をよろこび、私たちと共に笑い、そして、心を成長せしめる。そんな何かを想像します。
 
 しかし、ここでは(絶対神)、どこか冷たく、隔絶された、言ってしまえば無関心、法やシステム、あるいは、非情、機械にさえも思われがちです。

 ですが、それでも、悲しむことなどありません。憂えることなどありません。絶対神は、私たちの根源なのです。ここから宇宙が発生し、命を生み出し、知性や感情、意識を創り、そして、あなたや私もそこから生まれ、愛はもちろん、多次元、霊魂、死後の世界や法則、秩序、すべての有を生み出しました。

 種(たね)の中を覗(のぞ)いてみますと、そこに花は存在しません。花の色や香りや大きさ、そうした個性は眠っております。しかし、それでも種からそれらが生まれて来ます。種はそれらを宿しております。種(神)に花(個性)が無いからと嘆(なげ)く人など一人もいません。

 ですから、神は機械なのではありません。無機質なのでもありません。単に人知が知らないだけです。理解の及ばぬ存在なのです。問いはあくまで知性に属し、知性は神から発生しました。ゆえに神は問いの尺度を超えております。捉えどころがありません。

 そして、最後に相対的な次元において、評価をするのは飽くまであなた。何かを想い、何かを感じ、感想するのは飽くまであなた。自分がいつでも基軸となって対象物に意味づけします。神と言えども、宇宙と言えども、自分の視点で評価をします。このとき神は一人一人の主観の中です。

 しかし、それでも、神は本来、他(ほか)から評価を受けない者です。評価を受ける対象外です。人間ごときが評価を下す有限態ではありません。何かに属し分類できる有形態でもありません。もっと大きな、無限的な、永遠的な存在なのです。

 ですから、神は相対的な次元において語ることなど不可能なのです。語った瞬間、それは神では無くなるのです。愛や希望、公明正大、いかなる尺度も通用しません。触れることなど不可能なのです。

 問いが止めば、答えは消える。すべては知性のお遊びなのです。神とは何か、どうあるべきか、それは飽くまで問いであり、相対的な出来事なのです。

 問いや知性は存在なのではありません。生存するため人間の持つ、単に一つの能力なのです。そして、人知はあまりに無力、自然の前では微力にすぎず、貧弱的かつ限定的です。宇宙を生み出す創造者、神の前では僅少すぎます。測ろうなんてもっての外(ほか)です。

 神は問い(知性)を超えており、想像絶する存在なのです。それはかくして愛をも超える超然とした存在なのです。

 かくして、神とは“在りて在るもの”、“有限を生む無限の存在”それが私の想像なのです。神に対する観念(仮説)なのです。

 それでは、次回、神シリーズはひとまず休み、絶対性と相対性の互恵的な関係性(認識論的視点に立って)を解説したいと思います。
 

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